2008年11月9日日曜日

冬支度

















 11月に入ってめっきり寒くなった。

 12月までは、暖房は簡単な電気ストーブだけにしようと心に誓っていたのだが、ここにきて寒さでこの誓いはすっかり萎えてしまった。 (笑)


 早速、春に押入れに仕舞いこんだ石油ストーブ、コタツを引っ張り出した。


 となれば、当然、その前にする作業は部屋の掃除である。
 何事も、片付けから入るのが私のやり方なのだ。


 今回は息子の部屋で使い古された汚れたカーペットの再生。それから作業を始めた。ほこりと染みを丁寧にふき取り、フローリングの床の上にサイズを合わせて敷いた。

 染み抜きは完全ではなかったが、そこそこ目立たなくなった! そして、ストーブとコタツをセットして冬支度を整えた。


 やはり日本人はコタツだ!


 コタツでこうして本を読んだり、
 パソコンに向かって調べごとしたり・・・

 音楽を聴きながら過ごすこのコタツタイムで
 こころが自然と穏やかになってくる。

 今、コーヒーを入れてこうしてパソコンに向かい始めた。


 今朝、いくつか読んだ雑誌や本の中で気になったフレーズをちょっとここに書き留めておこう。


  毎日の習慣、過去に続けられた習慣が皆さんのいまをつくり、皆さんの十年先をつくる。習慣の中にある因子が皆さんを病人にしてしまう。病気は自分がつくる以外のなにものでもありません。

  失敗したり悲しい思いをした時こそ、もっと不幸な人の悲しみを分かつことができる豊かな感性が自然と生まれるんです。

  生かされている命を、できるかだけ僕は使い切りたいと思っています。

   ――原重日野明 


  人の話を聴く、聴き切る、あるいは訪れをじっと待つことは、普通に何かをする行為よりもはるかにエネルギーを要し、はるかに忍耐を必要とする難しいことなのです。

  研究者は一生をかけて、それでもひとつ新しい解釈が出せたら、それは歴史的な研究になります。しかしながら、そういう長い時間をかけて行うような研究が許されない時代になりました。 <せっかちな時代>

  待つこと期待するという意味での「待つ」ことを放棄したとき、初めて本当の「待つ」の意味が見えてくるのではないか。「待つ」ことを放棄したときに、初めて待つことができるのではないか、・・・

  痛い想いをたくさん繰り返し、年輪を重ねて初めて、人は「待たないで待つ」という姿勢を身につけるのかもしれません。年輪とはそういうことかとも思います。

  「待つ」ことは辛く苦しいことですが、しかし「待つ」という、一見すれば、ただじっとしているだけの受け身の姿勢になかに、倫理や人間の責任といった一番根源的なものが含まれている。「待つ」ことは、それほど人間にとって重要な意味をもつ営みである・・・

   ――鷲田清一 


  地球が「安い石油資源の枯渇」と「地球温暖化」という不可逆な「二つの危機」に直面していることを考えれば、我々にできることは、一刻も早く、省エネ・省資源・環境問題に取り組み、二つの危機が進む速度を可能な限り緩和させることしかない。

   ――柴田明夫 



 閑話休題


 先週の金曜日は、久しぶりに私の尊敬する知人Mさんと情報交換をしながら、遅めのランチをともにした。

 Mさんから発せられる言葉のひとつひとつが、私の中に刺さっていたとげを抜き取り、痛みを癒してく。


 人と人とのお付き合いは、本当に不思議である。そして生きていくうえで欠かせない行為でもある。


 こうした癒しの場――時には修羅場にもなるのがだ――を共有するという感覚は、これまでの数人の恩師と接していて得られた感覚である。

 でも、そうした恩師はすでにこの世を去ってしまった。いまは朝の瞑想の中で一方的に対話させていただいている?

 私の悟りへの道はまだまだ程遠い状態で、瞑想していて「場を共有」することはできていない。


 そんななかで、Mさんの存在は私にとって大変ありがたい。


 Mさんのおっしゃった言葉を反芻しながら、今日はコタツでゆっくりしたいと思う。


 もう少し、読書を続ける。



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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 我が至福のコタツタイム! ★★★

 <キーワード>
   ・緩和策と対応策の組み合わせ
   ・「待てない」「待たない」社会
   ・未来を手繰り寄せずに待つ時間・・・
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